クルミを割ったことのない日々

思いついたことを好きなだけ

夢中

真夜中に目覚めてこれを書いている。
ついさっきまで夢の中にいたが、その夢の中でずっと忘れていた遠い記憶が蘇った。
30年近く前、ASKAさんが我が家に遊びにきたことがあったのだ。母と母の友人が買い物に行った先でASKAさんと知り合って、そのまま幼い私(5、6歳くらい)の留守番する家に一緒帰ってきた形だ。

証拠となる写真も撮っていた。私の家族と友人家族とASKAさんがテーブルを囲って談笑しているパノラマ写真、ASKAさんがリラックスした表情でコタツに入っているワンショット写真…。

ASKAさんは淡いエメラルドグリーンのフリースジャケットを着ていて、まるで何度もうちに来たことがあるかのようにとてもこの場になれた風だった。
私が「何でうちに来たの?」と聞くと、母は「宣伝のために決まってるじゃない」と当たり前のことみたいに言って笑った。
「いや僕はね、誰の家にでも遊びに行くんだ」
ASKAさんは優しくそれを訂正した。
私はその言葉を思い出したときASKAさんらしいなと思った。幼い私はただ、へぇすごいな、と思っていた。
そこでくつろいでいるASKAさんは幼い私にとっては少しカッコイイお兄さんで、でも同時に有名人らしい事もわかっていた。だから本当は特別な時間を過ごしていると知りながらも、わかっていないふりをして遊んでもらっていた。この年頃の子供は大人が思ってるより意外と計算高かったりする。
なぜこんな思い出を忘れてしまっていたんだろう。あんなにドキドキしたのに。あのお兄さんがASKAさんだったともっと早く気づいていたら。

……そこでハッと目を覚ました。
忘れないうちにこの記憶を書き残そう。そうだ、朝になったら母に聞くんだ。まずは写真……と覚醒していくうちに、これがまるっきり全部夢だったと気づいた。そんな思い出なんて無い。記憶の片隅にも無い。思い返すほどに様々な矛盾が生じてくる。辻褄合わせと時代考証が夢ならではの不備だらけで、母に確認するまでも無い。

夢の中は不思議だ。これが夢だとわかっていたのに願望が見せた「夢」だと気づかなかった。

 

まさか夢の中まで。昨日「チャゲアスのライブDVD買うね」と夫に意思表明し損ねた事が夢に影響したのだろうか。

夢中、とはよく言ったものだ。