クルミを割ったことのない日々

思いついたことを好きなだけ

運動嫌いの人 体育のトラウマある説

Twitterでこのツイートを目にした。

 


私も思い当たることがある。20年以上経っても忘れることのない出来事。

小4の体育の授業。唐突に担任の先生が「クラス全員の足の速さの順位をつけよう」と言い出した。
先生は皆を一斉に走らせ、その中で速いチーム、普通チーム、遅いチームに分けてまた走らせた。それを繰り返して徐々に順位をつけていく。
速い方から順位は付け終わり、遅い方の順位付けの番になった。当然のごとく私はそちらにいた。
体力も考えて走る距離は50mが25mになり次は10mと短くなっていく。
ついに私は最後の最下位決定戦まで残った。
私含めいつもマラソンの最後尾にいる女子3人。こんな事しなくても分かりきっているメンバーで正式にビリを決める。何のために?でももうやるしかない。すでに周りも始めの盛り上がりはなく、緊迫した重い空気に変わっている。
走る距離は5mくらい。こうなると足の速さというより、スタートの反射神経と競争心の戦い。私はそのどちらも無いようなものだし、いよいよこの勝負に意味がないと思った。それでもやる気ない振る舞いは出来ない。クラスの残り全員が我々を見つめているのだ。
負ける気がする。もう私がビリでいいですと言って逃げたい。たとえ隣の子がビリになってもどんな顔すればいいの?
先生の「ヨーイドン!」で私以外はそれは必死に見えた。私は一体どう見えていたんだろう。
走り終えた後、私は何も喋らなかった。友達が何か言っていたかは覚えていない。少なくとも誰の声も耳には入ってこなかった。虚しさや恥ずかしさ、湧き上がる憤りのような感情がグルグル回っていた。私の小さな自尊心が傷つけられたのだから。
その日、私は足の速さがクラスで最下位と決まった。

体育の授業の思い出だけで運動嫌いになってしまった人はたくさんいると思う。私もこの思い出から抜け出せなかったら、走る事など一生大嫌いだっただろう。でも私はその後ちょっとしたきっかけで運良く苦手意識から抜け出せて、今ではジョギングを趣味にできている。

 

小学校の体育では運動が楽しいと思える授業にしてほしい。走ることにしても、誰かとの比較ではなく、自己ベストの更新を意識させたらいいのでは?と思う。
競争は運動会などのイベントでやれば十分。向上心ある子は部活に入ればいい。
学校という小さな世界でその瞬間劣っていても自分の可能性を否定することはないし、自分に合ったスポーツだってきっとある。
だから苦手意識を植え付けるように他人との競争だけあおる授業は絶対やめてほしい、と心から願う。