クルミを割ったことのない日々

思いついたことを好きなだけ

記憶に残すこと

大杉漣さんのあまりにも突然の死はショックでした。

ツイッターの誰かのつぶやきでそれを知った時、はじめは悪い冗談だと思いました。

大杉さんのことはすごく注目して応援していたわけではないですが、

いつもそこにいてくれる俳優さん、という感じがしていました。

私の父が死んで20年以上経ちますが、生きていれば大杉さんと近い年齢でした。

父が死んでからファザコン気味になった私にとっては、理想のお父さん像だったのかもしれません。

最近だと『シンゴジラ』『アウトレイジ最終章』での大杉さんが印象に残っています。どちらの作品での最期もそうだったように、今回はこの「大杉漣役」がオールアップしただけで、またどこかで違う役として生きているんじゃないか、そんな気さえします。

 

 八嶋さんがこんなツイートをしていた。

「俳優は二度死ぬ」。たしかに、気に留めていた芸能人でもないと一時その死に驚いても、その内また死を知る前の気持ちにリセットされて、どこかで活動しているようで忘れてしまったり、がよくある。

そう思って昨年2017年に亡くなった芸能人を少し調べてみただけでも、あぁそっか亡くなったんだっけ、、、と思ってしまう方もいた。

 

2017年に亡くなられた主な芸能人(数字は享年)
松方弘樹さん(74)、藤村俊二さん(82)、かまやつひろしさん(78)、渡瀬恒彦さん(72)、京唄子さん(89)、野際陽子さん(81)、小林麻央さん(34)、野村沙知代さん(85)、など

 

野際さんに関しては昨年放送していた出演ドラマ『やすらぎの郷』を録画していて未だに観終えていない(なにせ129話あるので、あと残り50話くらいある)のだが、野際さんが出てこない回が続いたので「あぁもうこの時期か」と思ったらその後あっさり出てきたし、それから20話くらい何度も出てくる。もはやいつ出てこなくなるのかを気にしながら観ている。そういう意味では野際さんはまだ私の中では生きている。

そんな風にでも、できれば忘れたくはないし、人の死を曖昧な記憶にしたくないとは思う。でも悲しいけれど全ての死を抱え込んでいたら、心が追いつかない。

忘れる、ということはそれ故のある程度仕方ないことなんだろう。

 

今年に入ってから亡くなった星野仙一さん関連の忘れられない出来事がある。
私が小学生の時、母とラーメン屋に入ったら先客に野球帽被ったなーんか見たことあるおじさんがいて、チラチラ見てると向こうもこちらににこやかな感じだった。
あれ?なんか野球の人じゃなかった?とその時は名前はわからなかったけど星野さんじゃないかとドキドキしてきて、もうラーメンの味なんて全くわからなくなっていた。

店出る際母に「あの人・・・」とコソッと指差したら母がその人見て「あらどうもー」と挨拶をした。数年に一度くらい会うただの写真店のおじさんだった。
という、人に話すと「ふーん」としか言われないようなどうでもいい思い出が、星野さんを見るたびに私の脳に自動再生されてしまっていた。

でも星野さんが亡くなった今、いつかこの記憶もどこかに消えてしまうのかな。