クルミを割ったことのない日々

思いついたことを好きなだけ

『しあわせの絵の具 愛を描く人 モード・ルイス』を観た感想

お題「最近見た映画」

※ネタバレあります

 

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数年前にどこかの美術館のミュージアムショップで、一目惚れし衝動買いしたポストカードがあった。そこに描かれていたのは、素直であどけないタッチの中に温かみがあり幸せを分けてくれるような様な優しい絵。

その絵を描いた画家がこの映画『しあわせの絵の具 愛を描く人 モード・ルイス』の主人公「モード・ルイス」だった。

 

この手の派手さのない映画は、退屈ではないかと心配して観ることを躊躇いがちになってしまう。この映画も「モード・ルイス」でなければ観ることもなかったかもしれない。あとはモード役がアカデミー賞受賞作品『シェイプ・オブ・ウォーター』でオスカーノミネートの女優サリー・ホーキンスというのも、見て損はなさそうという私のミーハー的打算が働いた点だったりする。とりあえず悪くなさそうだし、たまにはのんびりした映画を1人で観るのもいいなと思いきり、足を運んだ。

観客はやはり派手な大作とは違って年齢層高めで女性が多く、私と同じように1人で観に来た方も多かった。

 

モードは身体に障害を持っているうえに両親が死んでからは親類からも邪魔者扱い。かといって「かわいそうな子」に成り下がらず、自由を愛し自分を曲げず独立を決意する。なかなかしたたかなところが見初め若干の戸惑いを感じたけれど、それだけ強くなければこの人の人生は悲しいものに終わっていたかもしれない。そして愛情深く自分の在り方に囚われない人だから、きっとあんな絵が描けたのだと感じさせる。

映画は全編通してとても静かでセリフも少なく、BGMすら無いシーンも多い。だからこそモードとエベレットという2人の繊細な心の動きは、ふとした表情やしぐさとわずかなセリフで感じ取るしかないのだが、それを見事に演じ切っているのが前述のサリー・ホーキンスとエベレット役のイーサン・ホーク

サリー・ホーキンスはどうやら2014年のハリウッド版『GODZILLA ゴジラ』に出ていて見かけているはずだが、覚えているわけもなく。初認識といえる本作で、もうそういう人なのでは?と思いながら観ていたけれど、検索すると別人のようだったので凄いとしか言いようがない。

一方イーサン・ホークの出ている映画は『ビフォアサンライズ』『ガタカ』など観ているはずなのだが、不思議とあまり彼の印象がない。名前も顔も知っているのに、良くも悪くも普通のイケメン俳優といったイメージしかなかった。しかし本作でそれは本当に覆されて、こんなにいい俳優だったかと彼の最近の出演作に興味が湧いた。少なくともこのエベレットという役は彼の演技あってこそ魅力ある人物になったと思うし、それが何倍もこの映画に良い影響を与えていたように思う。

はっきりいってエベレットは粗暴で人としてはクズに近かった。こいつのどこがいいんだ?こんな男やめとけ、と最初は誰もが思うだろう。エベレットは荒波のように感情を大きく打ち付けたり寄せては返す。モードはそれを渚のようにいつもまっすぐに受け止める。でもそんなエベレットが徐々にモードに心を許し愛情を見せ始める。権勢で吠え荒ぶっていた野犬が少しずつ飼いならされていくようで妙に愛おしさが芽生えてくる。2人の不器用だけど確かな愛情がそこかしこに確認できると、観ていてなんともニンマリとしてしまう。

私がいちばんぐっときた結婚した夜のダンスシーンは脚本になく主演2人で作り上げた場面だそうで、そうした小さく温かな場面ひとつひとつが心に残ってじんわりと響いてくる。観ていると自分のパートナーが頭に浮かんで何かを思う人も少ないないはず。

 

電気も水道も通していない、人里離れた場所の小さな家での暮らしが舞台だったために、病院のシーンは現実を突きつけられたような気持ちにさせられる。もっとお涙頂戴にも出来たはずだけれど、そう描かなかった。そういう2人ではないという事だともいえるし妙なリアリティーに後から胸に迫るものがある。

ラストのエベレットが何を思っているのかは色々な見方ができると思うけれど、正解はない気もする。人は急に1人になったときの気持ちなんて1つじゃない。

 

この映画は説明も感情の押し付けもほとんどなかった。その分、モードの描いた小さな絵のように、観た後も静かに心に飾られていく。

 

2018/5/4追記

後日談書きました↓

まさかの勘違い - クルミを割ったことのない日々