クルミを割ったことのない日々

思いついたことを好きなだけ

運動会の取るに足らない思い出

近くの学校から運動会の練習と思われるかけ声や笛の音が聞こえてくる。いつのまにか運動会シーズンはこの時期になったらしい。

私が小学生の時は当然のように秋の運動会で、思い出されるのは当日のことよりも夏の暑さ残る中でのダンスや行進や応援合戦の練習をしていた校庭の風景。

 

小3の時だったか、運動会でのダンスに使用するため「新聞紙とビニールテープを使ってバトンを各家庭で作成して下さい」という案内があり、母に作ってもらったことがあった。
ビニールテープで作ったフサフサを両端に付けた棒を両手分で2本。
母は手先が器用で、案内に目を通すと素早く頑丈で見事なバトンを作り上げてくれた。

 

バトンを使ったダンス練習初日、私は母の作ってくれた完璧なバトンを得意げに取り出した。すると周りとの明らかな差に驚愕する。私のバトンだけ皆のより倍くらい長い、という物理的な差。

 

私のバトンを見たクラスメイトからは無邪気な驚きや笑顔、同情や労りの表情が向けられる。恥ずかしさと悲しさでいそいそと先生に私の長すぎるバトンを見せると、母が新聞紙の縦と横の指示を間違えて作成していたと判明。

(今日は仕方ない、お母さんに作り直してもらおう)

そう考えていた。

「立派に出来ているし、それ使っていいよ」

先生はにっこりと笑って私のバトンを承認した。

完璧な仕上がりが完全に裏目に出た。


帰ってから母に事態を報告すると「目立つからよかったじゃない」と開き直りの大笑い。なぜ大人達は子供の繊細になるところだけ寛容なのだろう。

 上(学校)から作り直しの指示がなければ現場(母)は動かせない。

バトンのダンスが急に憂鬱なものに変わった。

 

それからは長いバトンを振り回して練習する日々。事情を知らない他クラスの子が親切にサイズが違う事を教えてくれる。そうだよね、1人だけ両端に火つければハワイアンファイヤーダンス出来そうなサイズ感だもんね。
男子に至っては貸してくれってそれ武器じゃないから。

でもいっそ笑ってくれたりネタにしてくれた方が気が楽だと感じていた。

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そのうちに、上に掲げる時はなるべく短めに持つなどの工夫を凝らすことで目立ちにくくすることを覚え、本番も観覧席から若干の視線を感じながらもどうにか演目をやりきった。

やり終えた達成感より安堵感が強かった。でもすでに恥ずかしさや悲しさはどこかに消えていた。何より私にとって忘れられない思い出に変わった。

 

運動会に関しては色んな感情の記憶がある。
その時の恥ずかったり悔しかったりうれしかったりの感情は、混じりけがなくて自分の全てみたいだった。

でも今になればそれは本当になんてこともない出来事で、誰に話すまでもないことだったりする。

これはそんな思い出のひとつ。