クルミを割ったことのない日々

思いついたことを好きなだけ

夏はリスがおススメ

 伊集院光氏がYoutubeで公開していたモルモットのこの動画↓


My Movie

 

何度見ても良い。本当癒される。可愛いなぁ!カルピーちゃん覚えたよ!

これに心を奪われて、モルモットを生で見たい!となったのがことのはじまり。

 

そう思ったものの、撮影された千葉県の「市川市立動植物園」までは行けなかないが、ちと遠い。

それで調べたところ、近場だと「井の頭自然文化園」でモルモットと触れ合えると知り、このうだるように暑い中行ってみたわけです。

 

夏休み中の夫と2人、平日の文化園に訪れた時には昼も過ぎてまさに炎天下で、日差しによって体力を着実に奪わていく。正直モルモットとか毛の生えたものはそんなに触りたくない。ぞろぞろ歩いているところを見られたらそれでいいかな、そんな気持ちになっていた。

人もまばらな園内を少し歩くと「モルモットふれあいコーナー」があり、その囲いの中だけは小さな子供たちとそのパパママがモルモットたちとワイワイキャッキャと触れ合い盛り上がっていた。

「俺、無理だわ。あの中に行けない。」

夫が完全に気後れしていた。

気持ちはわからなくもない。

休日ならまだしも平日は親子率が高まっているのだろう。やたらでかいおっさんがお子ちゃまたちとモルモットの輪に入り込んできたら親達に警戒されそうではある。

 

とりあえずモルモットは後回しという事で、入り口で配られていた凝ったスタンプラリーブック↓

ä»åã®ã¹ã¿ã³ãã©ãªã¼ããã¯ï¼è¡¨ç´ï¼

を手に、先にスタンプラリーをしながら園内を周ることに。

 

しかし動物たち、みな暑くてグッタリ。見てる方も暑くてグッタリ。

半ば義務的に見て周るが元気いっぱいの動物はほぼいない。アライグマは部屋の中で死んだように仰向けで寝ていた……はず。死んでなかったと思いたい。

そんな動物たちを2人で見つめながら「真夏に動物園は違う」という結論に至った。

 

せっかくだしスタンプラリーはゴールさせようと進んでいくと、大きな檻のような建物に行きつく。 

そこは「リスの小径」と書かれているリス小屋で、リスが逃げ出さないように2重扉になっており、ドアの脇の赤いランプが消えたらロックが解除されて先に進める仕組みにして、同時にドアが開かないように管理されていた。

 

なんとなく映画『ジュラシックパークⅢ』の鳥小屋の中で翼竜プテラノドンに襲われるシーンを思い出し緊張する。

中には何がいるかわからないし(※リスです)、出ようとしても赤いランプが点滅しつづけてドアのロックが解除されなかったら……!(※ここは吉祥寺です)

恐る恐る檻の中に入ると、まるでそこは森の中。草木に囲まれていて日差しがほどよく遮られて小川もあり心地いい。

 

さて、こちらをご覧ください。

f:id:oki_nikki:20180815164617j:image

 切り株で寝てるリスちゃん

 

f:id:oki_nikki:20180815162317j:image

小川で水浴びをしているリスちゃん 

 

森の中でかわいいリスのフィギュアを配置して写真を撮ってみました♪

 

ってわけではありません。

本物のリスなんです。動くんです。

うそみたいですが、私もうそだと思いました。

こいつら生きてる?あっ動いた。え?電池入ってる?こんなかわいいのが生きてるの?

わっ足元に来た!ひゃっ!あっちにもこっちにも走り回ってる!

という夢のような空間。

 

こ、ここは、

リスちゃん楽園(パラダイス)や~!!

 

リスたちの暮らす村に迷い込んだような気分になって、2人ともさきほどまでの気持ちを忘れてテンション急上昇。かわいいリスをみつけては写真撮りまくり。

 

でも元気いっぱいの子だけじゃなく、暑さのせいか地面にべったりの子もいて、

f:id:oki_nikki:20180815162822j:image

べたーん

f:id:oki_nikki:20180815162835j:image

チラッ

 

かわいいーーー!!連れて帰りたいーーー!!

 

私の「カメラをズームさせると印象派の絵画みたいになる古いiPhone」でも綺麗にとれたのは、それだけリスに接近できているという事なのです。

触ろうと思えば触れる距離。

しかし「指や耳をかまれるので注意」という文字がそこかしこで目に入り勇気が出ず。

本当はナウシカみたいにちょっと噛まれようが「怖くない怖くない」とか言ってリスを腕につたわせながら回りたい気持ちでいっぱいだったけど、いや、怖いし。病気とか怖いのこっちだし。そもそも痛いのやだし。ってつまらない大人の理性が働いて無理でした。 

 

そんな風にリスに浮かれて過ごしていたら、いつの間にかモルモットのふれあい時間が終了していて、ふれあい広場に行っても誰もいなかった。モルモットぉ……。

でもリスちゃん達が最高だったので、よし!

 

というわけで、夏の「井の頭自然文化園」は「リスの小径」がおススメです。

 

今度はもう少し涼しい時期に行って、次こそはモルモットとふれあいたいと思います。

ASKAさんのライブ行きます!

当選した!!

やったー!!ひゃっはー!

billboard-cc.com

 

あと約4カ月、私の誕生日に、

ASKAさんのコンサートを観に行けるんだ……。

考えただけでニヤニヤしてしまう。うひひ。

 

チケット申し込み時に一応夫に一緒に行くか聞いたら「行っておいで」と言われたので、はじめての1人ライブにもなる。

夫に「一緒に来て!」と言ったら来ただろうが、以前1人で大好きなお相撲さんの姿を見ようとカメラと双眼鏡を駆使してしている姿を夫に遠巻きに見られていて後からその様子がスゴかったと引き気味に言われたことがあったので、ASKAさんに関して熱量の違いすぎる夫の隣でそれやってしまうのも申し訳ない。ASKAさんに夢中になって、夫に話しかけられてもおざなりな対応になる自分が容易に想像できる。少しでも気の散ることを言われたらワンワンワン!と威嚇して最悪噛みついてしまうかもしれない。(比喩ではなく怒り下手なのでマジでワンと吠えるしかない)夫もそんな空気を察したのだろう。

私にとって待望で特別な初めてのASKAさんのライブ。今回は1人でどっぷり浸らせてもらおう。

 

それに本当に観に行きたいどこかのASKAファンにひと席でも譲りたかったというのも正直な気持ち。だってみんな待ちに待ってたんだ。私と同じ気持ちの人たちと感動を分け合いたいよ、今回ばかりは。静かに皆で泣こうじゃない。

 

さてはて、次の心配はシンフォニックコンサートってどんな格好していけばいいんだろうってことだけど……まぁ来月チケット発行してから考えよう!

 

10月にはASKAさんの選ぶベストアルバム発売も決定。

楽しみが尽きない!お小遣いは尽きる!

助けてー!と、うれしい悲鳴をあげながら働く目的ができました。

ありがとう。おかげで今日もこんなに元気です。

 

 

 

やすらぎの郷、ようやく終わる

録画しておいて気が向いたときにちょっとずつ観ていたテレビドラマ『やすらぎの郷』を1年近くかけてようやく観終えた。全129話。

 

↓『やすらぎの郷』を知らない方はサイトから引用したこちらを参照ください。

 テレビ人専用の老人ホーム『やすらぎの郷 La Strada(ラ・ストラーダ。イタリア語で『道』の意味)』に暮らす老人たちは、厳正な入居資格を通過した、穏やかで心やさしい人物ばかり。しかし、そうはいっても、かつて“蝶よ花よ”とおだてられ、華麗な一時代を築いた彼らだけに、一皮剥けば何が飛び出すかわかりません。
 ドラマは、菊村の視点で、ホームで起きる悲喜交々の出来事を紡いでいきます。テーマは家族、財産(遺産)、過去への想い、恋、死への恐怖、芸術への心残り――など多岐に渡り、『やすらぎの郷』というタイトルとは裏腹に、まったくやすらぐことのできない日々に翻弄される主人公・菊村の姿をユーモラスに描きつつ、随所に倉本氏からのテレビ界に対する提言や珠玉のメッセージがちりばめられていきます。

イントロダクション|やすらぎの郷|テレビ朝日

 

見どころはなにより老人の日常悲喜こもごもを総出演ともいえる名優たちが演じているところだろうが、私はこのドラマの良さとして見逃しても全く問題ないところを推したい。

平日の昼ドラとして30分ずつ放送していたが、開始1分ほどで前日のあらすじをパパっとやってくれるので、なんならそれだけ観ていれば128分で済んであとは最終回だったのではないか?そのくらいの気楽さがよかった。

 

たしかに主人公の石坂浩二演ずる菊村先生は毎週大変頭を抱えていた。でも翌週には前の週の問題など忘れたかのようにけろりとしていて、まるでその問題に触れなかったりもする。

ある時など、唐突に熊出没騒動を2日くらいやっていた。その間、熊の姿は1秒たりとも映らないし、熊による被害もなくその後の伏線というわけでもない。なんだったんだ。

そんな感じで「あの話何だったんだ」はちょくちょくある。

死を扱ったそれなりに重い話やたまには泣けるような良い話もある。でも全体を通せば半分くらいはそんな実にどうでもいいエピソードで、正直何があったか詳しく思い出せない。だからこういう展開になってほしい!とかもほぼない。おかげで観ていて疲れないし観終えて即日常に戻れる。

では何が面白くて見ているかと言えば、自分もこの老人たちのコミュニティに参加した感覚を味わえるところかもしれない。コミュニティ内の騒動や噂話は実際の生活だと人間関係など面倒も併せ持つが、ドラマ内なら内情をわかりつつも完全に他人事。クセのある人物たちと浮世離れした環境のため誰にも感情移入することなく、ほどよい非現実感を保ったまま炭酸水くらいの刺激を心に与えてくれる。まるで目的のないシミュレーションゲームだ。そこがいい。

 

とはいえ、どうしても納得がいかない回もあった。

やすらぎの郷バーテンダーとして働くニコニコと可愛い女の子、松岡茉優演ずるハッピーちゃんが大変に酷い目に遭うエグいエピソード。(気になる方はカッコ内反転かコピペでどうぞ→見知らぬ男達に強姦される)

は?うそでしょ?倉本聰どうした??と、この時ばかりは本気で憤ってしまった。それでいて深刻な感じで一週間やったらハッピーちゃんはなぜか笑顔で職場復帰し、菊村先生のナレーションで「このことは忘れてください」で締めくくられた。いやいや、無理でしょ。忘れていいようなエピソードなら描かないでほしかった。このエピソードだけは絶対要らなかったと根に持っている。

 

そんなこんなしているうちに最終回をわりと唐突な印象で迎えた。

菊村先生が孫ほど年の離れた女の子に恋心を抱くというまぁ滑稽で何だか薄気味悪いエピソードが未終結のままだったが、ついに最終回でその子と旅館に泊まる事になった。

うえぇ倉本聰はとうとうどうかしてしまったのか、そう思っていたところ……!

いやはや、これには恐れ入りました。この気持ちまで導かれていたのだと思ったらさすがとしか言えない。

この最終回を観て、ここまで諦めずに観てきてよかった!良いドラマじゃないか、と思えた。

ハッピーちゃんのことさえなければね!!

 

そんな『やすらぎの郷』のシーズン2が来年の2019年4月から始まるらしい。

たぶんまた見逃しても大丈夫だろうし、シーズン1観てなくても大丈夫そう。

本当はリアルタイムで雑に見るのが一番向いているドラマだとは思うけど、また録画してボチボチ観ちゃうかな。

 

 

 

 

 

憲兵も王様も居ない城を聴いて思う事

ASKA憲兵も王様も居ない城』

weare-music.jp


7月の配信曲。聴きました!
あいかわらずハイレゾの環境ではなく、ですが。

張り上げた声がますます調子良くなっているようで、ライブ観に行きたい欲が高まる。
今月もこれまでの毎月配信曲とガラッと雰囲気変えてきて、本当にバリエーション王だなぁと。
ASKAさんの曲が飽きないのは考えてみたらそこもだいぶ大きい。
これまで好きになった歌手の曲はファンでずっと追いかけているとある時「また同じような曲だな」と感じて我に返ったようにとんと聴かなくなったりもあったけど、ASKAさんの曲はここ数年ほぼ毎日きいてるけど全然飽きない。なんせチャゲアスの曲含めたら何百もあって、本当に彩り豊か。飽きる暇がない。まだ知らない曲も沢山あるので底知れない。

 

今回の曲の歌詞を読むと、前に大きく進んでいくASKAさんの今の決意が強く表れている。

あの一連の出来事は起きてはいけないことで起こってほしくはなかったけれど、起こるべくして起こりそして今があるのかもしれない。

戻せない時間を嘆くより今がいちばんいいと思って生きた方が幸せだよね。

彼の言葉からだけでなくそう思わせてくれるほど、ASKAさんは予想を遥かに上回る努力を見せながら今日まで来た。

 

そういえば最近になって、事件の事でASKAさんに否定的だった夫がついにチャゲアスを聴き始めた。何曲かすでにお気に入りができた様子で、それも曲の豊富さが一因していると思う。そして皮肉にも事件がなかったら結果として夫がチャゲアスを聴くことはまずなかっただろう。

 

人生は不思議だなと思う。絶対肯定できない出来事が起きても、その後の自分にプラスになることもある。もちろんその逆もあるので油断ならない。

「思うようにはいかないもんだな」*1と呟くことは多いが「どんな皮肉なことも今日のいまこのため」*2と思って生きていかなければ。

 

ASKAさんは自分を盾にしながら自ら進みゆく。

カッコつけすぎだよと思いながら、いつまでも追いかけていきたい。

 

 

*1:『PRIDE』の歌詞から引用

*2:『THE TIME』の歌詞から引用

ウキウキの1日

久々にアウトレットモールでショッピング。気に入った服を購入。うれしい!

帰ってきて大相撲観戦。御嶽海!優勝おめでとう!涙のインタビューに感動。

夕飯はざる蕎麦とてんぷら。美味しかった!

そんな充実した1日。

 

しかしこんな平和な時間を過ごしていた私の頭の片隅には、常に1人の男の影がちらついていた。

 

 

 

ASKAさぁーん!!!

 

ビルボードラシックスコンサート開催決定の大発表!!!

 

「billboard classics ASKA PREMIUM SYMPHONIC CONCERT 2018 -THE PRIDE-」開催決定|NEWS|ASKA Official Web Site 「Fellows」

 

まじかぁ!!!

 

凄すぎ!行きたすぎ!

 

そして私の誕生日に日程組まれてる……

行けたら、もし行けたら、

超ハッピーバースデートゥーミーじゃんか……。

 

そんな感じで、もう1日どっか浮ついてました。

最高ですね。

 

 

 

 

似た者夫婦

<結婚は「怒らない人」とすべき>という下記記事が話題になっているが、最近そう感じたことが何度かあった。

 

headlines.yahoo.co.jp

 

仕事で複数組のあらゆる世代のご夫婦に接客する機会があった。はじめましての全く他人のご夫婦。

例えばブライダル関係の仕事をしている方などはきっとよく感じていることだと思うが、少し会話しただけでも何となくその夫婦の関係性は垣間見える気がする。こちらが話しかけた時に夫婦のどちらが積極的に返答するかとか、配偶者が発言している時の反応とか。

今回多かったのは以下の3つのタイプ。

  • 旦那様が主導権を持って話し、奥様がそれに賛同したり上手く舵をとるように時折助言や訂正を入れてくるタイプ。
  • 奥様が積極的に話し、旦那様はそれを黙って聞きつつ必要な時だけ口を挟むタイプ。
  • 奥様がこちらに返事をしつつ旦那様に「いいよね?」などと最終確認や賛同を求めながら話を進めて、時には旦那様が会話の主導に移っていくタイプ。

感じがいい夫婦は、それぞれがお互いの足りない部分をうまく補い合っている感じがする。そうでない夫婦はどちらかが圧倒的に強くどちらかが委縮しているように見える。

 

記事の「怒らない人」=寛大な人だとすれば、それはとても納得がいく。正直、この人の奥さん(あるいは旦那さん)は大変だなと思ってしまうような、いやな物の言い方をする人にも出会った。大抵その人の配偶者は隣で諦めた様な悲しげな表情でそこにいる。

しかし一番厄介なのは夫婦共々「怒る人」で短気のクレーマータイプ。この困った似た者夫婦は、怒りの沸点が異常に低く同じ温度で怒りだす。触れたら危険で周りの空気もひんやりさせる、まるでドライアイス。なだめようと水を差そうもんならブクブクとあたり一面に荒げた言葉の煙を広げるばかり。片方がどんな理不尽なことを言っていようがそれに賛同し、お互いが怒りのサポーターとなっているから埒が明かない。

でもそうした夫婦は初めから考え方が似ていたのだろうか、それともいつの間にか似てしまったのだろうか、と不思議になって考えてしまう。同じように育ったきょうだいならわかる。でも長く一緒にいたとしても元は他人であった夫婦だ。それが今は常識から外れた感覚を共有して生きている。もしも「怒る人」と結婚していつしか「怒る人」になってしまったとしたら、とても悲しく恐ろしいことだ。

夫婦は似てくるというが、私自身、ふと気づくと夫と考えが似てきていると思うことがある。夫も私に影響されているところはあると思う。今のところそれは悪くない事柄だけだと思っているが、そうしているうちに意識せずどちらかの間違った考え方に偏ってしまう可能性もある。

 

そんな似たもの夫婦にならないように、出来る限りお互いの間違いを正せる関係でありたい。そのためには夫婦間以外の意見を取り入れられる環境も大切にしなければ。

様々なタイプのご夫婦と出会い、つくづくそう思った。

 

思いついたことを好きなだけ

このブログを始めて1年が経った。

私を取りまく環境は、1年で少し変わったり全然変わらなかったり大きく変わったりした。

まだ1年かと思うし、もう1年かとも思う。

 

最近のことや思う事を今日も好きなだけ書く。

 

定期的に入る短期の仕事をしている。まだはじめたばかりで慣れていないながらも、お客さんに感謝されたり以前より上手くできたり仕事仲間と会話している時など、楽しく思える時間も増えた。とてもうまく仕事をこなす仲間を見ると、私の天職ではないのだろうとは思う。でも嫌いではない。それでもたまに必要以上にトゲトゲしい態度の人に出会って悲しい瞬間もある。そしてそれを少し引きずる時もある。

 

家族が病気になった。治療は少し長くかかる。先の事に不安が無くはない。いや、きっと不安でいっぱいなんだと思う。でもなるべく深く考えないようにしている。本人が1番不安なのだから、不安な顔はできないなと思う。

 

だから。

だけど。

元気に笑顔でいよう!

なんて自分に言い聞かせてる時は実際は元気が無くて笑えない時で、無理をするとバランスを崩して落っこちてしまう。

みんなと同じように頑張らなきゃ!
そう思っても、みんな抱えてる重さも出せる力も違うから、限界の前に一息つかなきゃ溺れてしまう。

 

無理して笑って頑張りすぎた後の怖さを私は経験済みだ。それなのにまた繰り返してしまいそうになっていた。

このくらいのことで、私なんかが。そう思ったとしたら逆にそれはおごりで、自分がそんなに器用な人間じゃないってことはわかっているつもりでも、なぜだかもっと出来ると思い込んでしまう。

今はもう少し自分に優しくしてあげてもいい時なんだと思う。

 

辛いのはみんな一緒かもしれない。でも自分の辛さをわかってあげられるのは自分だけ。自分が辛いなら誰かと比べることではない。

 

誰に話せるわけでもないそんな事を、誰に向けてでもなくブログに書き連ねて時には読み返す。それがこの1年で得られた自分を支える日常の1つ。