クルミを割ったことのない日々

思いついたことを好きなだけ

KANさんのこと

自分でも予想外なくらいメンタルにきている。

私はKANさんの作品はそれほど多く知らないのでとてもKANさんのファンとは名乗れず語ることもおこがましいかもしれないが、それでもKANさんのことは人としてとても好きでリスペクトしていた。

私がファンであるASKAさんの近くにKANさんがいてくれることでどこか安心ができていたし、私自身どういうわけかなんとなくKANさんがいるならこの世界はまだ大丈夫、みたいな気持ちにさせてもらっていた。

ひょうひょうとつかみどころがないようで人懐っこい愛嬌があって、賢くて品があるのにどうしようもなく本気でふざけたりもして、音楽界では一流の才能でベテランなのにツッコミ待ちのような隙を見せて和ませてくれる。そっか、和(かん)ってぴったりな名前だね。そんな愛すべき人が本当にたくさんの人に愛されていたことをこの数日とくに感じているし、私も少なからずKANさんへの愛があったことに気付かされた。

もちろん音楽家としてのKANさんに興味を持たなかったわけではなく、ライブ映像作品でパフォーマンスの素晴らしさを知ってからはバンドライブやる時は是非行きたいと思いツアー予定は定期的にチェックしていた。そうこうしているうちにコロナが流行り出し、そして病気が公表され、それでも未来を信じようとしていた。いつか行こう、絶対いつか。

でもそのいつかは来なかった。

心の中に好きなものを並べる飾り棚があるとしたらKANさんはまだ端の方にちょこんと置いている気でいたけれど、ふいに取りあげられたらグラグラと棚が揺れ動いて心が乱れてしまうくらい、いつの間にかバランスを保つ大事な存在となっていた。これは時間をかけて落ち着かせていくしかないんだろうな。TwitterでKANさんからのお題にいっぱい答えてメンタルポイント貯めておけばよかったかな。

だけどどこまでもKANさんらしくて素敵だったなとも思う。正直に言えば、直近に思い出の地フランスへ旅行していた時もサブスク解禁した時も、もしかしてという予感はあった。でもそれをはっきりと意識してしまうと魔法が解けるみたいに事実として確定してしまう気がして、元気になる前提の話だけを言葉にしていた。

これは憶測でしかないけど、本人は決して後ろ向きに諦めてたわけではなく、最大限に気を配りつつ自分も笑って周りも笑わせていられることを選んでいって、もし急に旅立つ時がきても予定どおりに偶然に準備出来ておりましたという形にしていたのかなって思う。抗って生き残るために戦う生き方もあれば、他方でしぬときまで生き尽くすという生き方もあるし彼はそうだった気がする。私もできることならそうありたい。

悲しいし寂しいしまだまだKANさんのいる世界が続いていてほしかったけど、当の本人はもう別の世界の人々を笑わせているところかもしれない。だからKANさんには感謝しかない。これまで私の世界にいてくれてありがとうという気持ち。

そしてこの先は残してくれた多くの作品をもっと知って楽しんでいくことで、また違う形でKANさんを心に飾っておけたらいいなと思う。

でもそれはたぶんもう少しだけ泣いてから。