クルミを割ったことのない日々

思いついたことを好きなだけ

ASKAさんのライブ行きます!

当選した!!

やったー!!ひゃっはー!

billboard-cc.com

 

あと約4カ月、私の誕生日に、

ASKAさんのコンサートを観に行けるんだ……。

考えただけでニヤニヤしてしまう。うひひ。

 

チケット申し込み時に一応夫に一緒に行くか聞いたら「行っておいで」と言われたので、はじめての1人ライブにもなる。

夫に「一緒に来て!」と言ったら来ただろうが、以前1人で大好きなお相撲さんの姿を見ようとカメラと双眼鏡を駆使してしている姿を夫に遠巻きに見られていて後からその様子がスゴかったと引き気味に言われたことがあったので、ASKAさんに関して熱量の違いすぎる夫の隣でそれやってしまうのも申し訳ない。ASKAさんに夢中になって、夫に話しかけられてもおざなりな対応になる自分が容易に想像できる。少しでも気の散ることを言われたらワンワンワン!と威嚇して最悪噛みついてしまうかもしれない。(比喩ではなく怒り下手なのでマジでワンと吠えるしかない)夫もそんな空気を察したのだろう。

私にとって待望で特別な初めてのASKAさんのライブ。今回は1人でどっぷり浸らせてもらおう。

 

それに本当に観に行きたいどこかのASKAファンにひと席でも譲りたかったというのも正直な気持ち。だってみんな待ちに待ってたんだ。私と同じ気持ちの人たちと感動を分け合いたいよ、今回ばかりは。静かに皆で泣こうじゃない。

 

さてはて、次の心配はシンフォニックコンサートってどんな格好していけばいいんだろうってことだけど……まぁ来月チケット発行してから考えよう!

 

10月にはASKAさんの選ぶベストアルバム発売も決定。

楽しみが尽きない!お小遣いは尽きる!

助けてー!と、うれしい悲鳴をあげながら働く目的ができました。

ありがとう。おかげで今日もこんなに元気です。

 

 

 

やすらぎの郷、ようやく終わる

録画しておいて気が向いたときにちょっとずつ観ていたテレビドラマ『やすらぎの郷』を1年近くかけてようやく観終えた。全129話。

 

↓『やすらぎの郷』を知らない方はサイトから引用したこちらを参照ください。

 テレビ人専用の老人ホーム『やすらぎの郷 La Strada(ラ・ストラーダ。イタリア語で『道』の意味)』に暮らす老人たちは、厳正な入居資格を通過した、穏やかで心やさしい人物ばかり。しかし、そうはいっても、かつて“蝶よ花よ”とおだてられ、華麗な一時代を築いた彼らだけに、一皮剥けば何が飛び出すかわかりません。
 ドラマは、菊村の視点で、ホームで起きる悲喜交々の出来事を紡いでいきます。テーマは家族、財産(遺産)、過去への想い、恋、死への恐怖、芸術への心残り――など多岐に渡り、『やすらぎの郷』というタイトルとは裏腹に、まったくやすらぐことのできない日々に翻弄される主人公・菊村の姿をユーモラスに描きつつ、随所に倉本氏からのテレビ界に対する提言や珠玉のメッセージがちりばめられていきます。

イントロダクション|やすらぎの郷|テレビ朝日

 

見どころはなにより老人の日常悲喜こもごもを総出演ともいえる名優たちが演じているところだろうが、私はこのドラマの良さとして見逃しても全く問題ないところを推したい。

平日の昼ドラとして30分ずつ放送していたが、開始1分ほどで前日のあらすじをパパっとやってくれるので、なんならそれだけ観ていれば128分で済んであとは最終回だったのではないか?そのくらいの気楽さがよかった。

 

たしかに主人公の石坂浩二演ずる菊村先生は毎週大変頭を抱えていた。でも翌週には前の週の問題など忘れたかのようにけろりとしていて、まるでその問題に触れなかったりもする。

ある時など、唐突に熊出没騒動を2日くらいやっていた。その間、熊の姿は1秒たりとも映らないし、熊による被害もなくその後の伏線というわけでもない。なんだったんだ。

そんな感じで「あの話何だったんだ」はちょくちょくある。

死を扱ったそれなりに重い話やたまには泣けるような良い話もある。でも全体を通せば半分くらいはそんな実にどうでもいいエピソードで、正直何があったか詳しく思い出せない。だからこういう展開になってほしい!とかもほぼない。おかげで観ていて疲れないし観終えて即日常に戻れる。

では何が面白くて見ているかと言えば、自分もこの老人たちのコミュニティに参加した感覚を味わえるところかもしれない。コミュニティ内の騒動や噂話は実際の生活だと人間関係など面倒も併せ持つが、ドラマ内なら内情をわかりつつも完全に他人事。クセのある人物たちと浮世離れした環境のため誰にも感情移入することなく、ほどよい非現実感を保ったまま炭酸水くらいの刺激を心に与えてくれる。まるで目的のないシミュレーションゲームだ。そこがいい。

 

とはいえ、どうしても納得がいかない回もあった。

やすらぎの郷バーテンダーとして働くニコニコと可愛い女の子、松岡茉優演ずるハッピーちゃんが大変に酷い目に遭うエグいエピソード。(気になる方はカッコ内反転かコピペでどうぞ→見知らぬ男達に強姦される)

は?うそでしょ?倉本聰どうした??と、この時ばかりは本気で憤ってしまった。それでいて深刻な感じで一週間やったらハッピーちゃんはなぜか笑顔で職場復帰し、菊村先生のナレーションで「このことは忘れてください」で締めくくられた。いやいや、無理でしょ。忘れていいようなエピソードなら描かないでほしかった。このエピソードだけは絶対要らなかったと根に持っている。

 

そんなこんなしているうちに最終回をわりと唐突な印象で迎えた。

菊村先生が孫ほど年の離れた女の子に恋心を抱くというまぁ滑稽で何だか薄気味悪いエピソードが未終結のままだったが、ついに最終回でその子と旅館に泊まる事になった。

うえぇ倉本聰はとうとうどうかしてしまったのか、そう思っていたところ……!

いやはや、これには恐れ入りました。この気持ちまで導かれていたのだと思ったらさすがとしか言えない。

この最終回を観て、ここまで諦めずに観てきてよかった!良いドラマじゃないか、と思えた。

ハッピーちゃんのことさえなければね!!

 

そんな『やすらぎの郷』のシーズン2が来年の2019年4月から始まるらしい。

たぶんまた見逃しても大丈夫だろうし、シーズン1観てなくても大丈夫そう。

本当はリアルタイムで雑に見るのが一番向いているドラマだとは思うけど、また録画してボチボチ観ちゃうかな。

 

 

 

 

 

憲兵も王様も居ない城を聴いて思う事

ASKA憲兵も王様も居ない城』

weare-music.jp


7月の配信曲。聴きました!
あいかわらずハイレゾの環境ではなく、ですが。

張り上げた声がますます調子良くなっているようで、ライブ観に行きたい欲が高まる。
今月もこれまでの毎月配信曲とガラッと雰囲気変えてきて、本当にバリエーション王だなぁと。
ASKAさんの曲が飽きないのは考えてみたらそこもだいぶ大きい。
これまで好きになった歌手の曲はファンでずっと追いかけているとある時「また同じような曲だな」と感じて我に返ったようにとんと聴かなくなったりもあったけど、ASKAさんの曲はここ数年ほぼ毎日きいてるけど全然飽きない。なんせチャゲアスの曲含めたら何百もあって、本当に彩り豊か。飽きる暇がない。まだ知らない曲も沢山あるので底知れない。

 

今回の曲の歌詞を読むと、前に大きく進んでいくASKAさんの今の決意が強く表れている。

あの一連の出来事は起きてはいけないことで起こってほしくはなかったけれど、起こるべくして起こりそして今があるのかもしれない。

戻せない時間を嘆くより今がいちばんいいと思って生きた方が幸せだよね。

彼の言葉からだけでなくそう思わせてくれるほど、ASKAさんは予想を遥かに上回る努力を見せながら今日まで来た。

 

そういえば最近になって、事件の事でASKAさんに否定的だった夫がついにチャゲアスを聴き始めた。何曲かすでにお気に入りができた様子で、それも曲の豊富さが一因していると思う。そして皮肉にも事件がなかったら結果として夫がチャゲアスを聴くことはまずなかっただろう。

 

人生は不思議だなと思う。絶対肯定できない出来事が起きても、その後の自分にプラスになることもある。もちろんその逆もあるので油断ならない。

「思うようにはいかないもんだな」*1と呟くことは多いが「どんな皮肉なことも今日のいまこのため」*2と思って生きていかなければ。

 

ASKAさんは自分を盾にしながら自ら進みゆく。

カッコつけすぎだよと思いながら、いつまでも追いかけていきたい。

 

 

*1:『PRIDE』の歌詞から引用

*2:『THE TIME』の歌詞から引用

ウキウキの1日

久々にアウトレットモールでショッピング。気に入った服を購入。うれしい!

帰ってきて大相撲観戦。御嶽海!優勝おめでとう!涙のインタビューに感動。

夕飯はざる蕎麦とてんぷら。美味しかった!

そんな充実した1日。

 

しかしこんな平和な時間を過ごしていた私の頭の片隅には、常に1人の男の影がちらついていた。

 

 

 

ASKAさぁーん!!!

 

ビルボードラシックスコンサート開催決定の大発表!!!

 

「billboard classics ASKA PREMIUM SYMPHONIC CONCERT 2018 -THE PRIDE-」開催決定|NEWS|ASKA Official Web Site 「Fellows」

 

まじかぁ!!!

 

凄すぎ!行きたすぎ!

 

そして私の誕生日に日程組まれてる……

行けたら、もし行けたら、

超ハッピーバースデートゥーミーじゃんか……。

 

そんな感じで、もう1日どっか浮ついてました。

最高ですね。

 

 

 

 

似た者夫婦

<結婚は「怒らない人」とすべき>という下記記事が話題になっているが、最近そう感じたことが何度かあった。

 

headlines.yahoo.co.jp

 

仕事で複数組のあらゆる世代のご夫婦に接客する機会があった。はじめましての全く他人のご夫婦。

例えばブライダル関係の仕事をしている方などはきっとよく感じていることだと思うが、少し会話しただけでも何となくその夫婦の関係性は垣間見える気がする。こちらが話しかけた時に夫婦のどちらが積極的に返答するかとか、配偶者が発言している時の反応とか。

今回多かったのは以下の3つのタイプ。

  • 旦那様が主導権を持って話し、奥様がそれに賛同したり上手く舵をとるように時折助言や訂正を入れてくるタイプ。
  • 奥様が積極的に話し、旦那様はそれを黙って聞きつつ必要な時だけ口を挟むタイプ。
  • 奥様がこちらに返事をしつつ旦那様に「いいよね?」などと最終確認や賛同を求めながら話を進めて、時には旦那様が会話の主導に移っていくタイプ。

感じがいい夫婦は、それぞれがお互いの足りない部分をうまく補い合っている感じがする。そうでない夫婦はどちらかが圧倒的に強くどちらかが委縮しているように見える。

 

記事の「怒らない人」=寛大な人だとすれば、それはとても納得がいく。正直、この人の奥さん(あるいは旦那さん)は大変だなと思ってしまうような、いやな物の言い方をする人にも出会った。大抵その人の配偶者は隣で諦めた様な悲しげな表情でそこにいる。

しかし一番厄介なのは夫婦共々「怒る人」で短気のクレーマータイプ。この困った似た者夫婦は、怒りの沸点が異常に低く同じ温度で怒りだす。触れたら危険で周りの空気もひんやりさせる、まるでドライアイス。なだめようと水を差そうもんならブクブクとあたり一面に荒げた言葉の煙を広げるばかり。片方がどんな理不尽なことを言っていようがそれに賛同し、お互いが怒りのサポーターとなっているから埒が明かない。

でもそうした夫婦は初めから考え方が似ていたのだろうか、それともいつの間にか似てしまったのだろうか、と不思議になって考えてしまう。同じように育ったきょうだいならわかる。でも長く一緒にいたとしても元は他人であった夫婦だ。それが今は常識から外れた感覚を共有して生きている。もしも「怒る人」と結婚していつしか「怒る人」になってしまったとしたら、とても悲しく恐ろしいことだ。

夫婦は似てくるというが、私自身、ふと気づくと夫と考えが似てきていると思うことがある。夫も私に影響されているところはあると思う。今のところそれは悪くない事柄だけだと思っているが、そうしているうちに意識せずどちらかの間違った考え方に偏ってしまう可能性もある。

 

そんな似たもの夫婦にならないように、出来る限りお互いの間違いを正せる関係でありたい。そのためには夫婦間以外の意見を取り入れられる環境も大切にしなければ。

様々なタイプのご夫婦と出会い、つくづくそう思った。

 

思いついたことを好きなだけ

このブログを始めて1年が経った。

私を取りまく環境は、1年で少し変わったり全然変わらなかったり大きく変わったりした。

まだ1年かと思うし、もう1年かとも思う。

 

最近のことや思う事を今日も好きなだけ書く。

 

定期的に入る短期の仕事をしている。まだはじめたばかりで慣れていないながらも、お客さんに感謝されたり以前より上手くできたり仕事仲間と会話している時など、楽しく思える時間も増えた。とてもうまく仕事をこなす仲間を見ると、私の天職ではないのだろうとは思う。でも嫌いではない。それでもたまに必要以上にトゲトゲしい態度の人に出会って悲しい瞬間もある。そしてそれを少し引きずる時もある。

 

家族が病気になった。治療は少し長くかかる。先の事に不安が無くはない。いや、きっと不安でいっぱいなんだと思う。でもなるべく深く考えないようにしている。本人が1番不安なのだから、不安な顔はできないなと思う。

 

だから。

だけど。

元気に笑顔でいよう!

なんて自分に言い聞かせてる時は実際は元気が無くて笑えない時で、無理をするとバランスを崩して落っこちてしまう。

みんなと同じように頑張らなきゃ!
そう思っても、みんな抱えてる重さも出せる力も違うから、限界の前に一息つかなきゃ溺れてしまう。

 

無理して笑って頑張りすぎた後の怖さを私は経験済みだ。それなのにまた繰り返してしまいそうになっていた。

このくらいのことで、私なんかが。そう思ったとしたら逆にそれはおごりで、自分がそんなに器用な人間じゃないってことはわかっているつもりでも、なぜだかもっと出来ると思い込んでしまう。

今はもう少し自分に優しくしてあげてもいい時なんだと思う。

 

辛いのはみんな一緒かもしれない。でも自分の辛さをわかってあげられるのは自分だけ。自分が辛いなら誰かと比べることではない。

 

誰に話せるわけでもないそんな事を、誰に向けてでもなくブログに書き連ねて時には読み返す。それがこの1年で得られた自分を支える日常の1つ。

 

 

おでかけ

とても久しぶりにおでかけをした。

いちばんの目的は上野の東京都美術館で開催中の『プーシキン美術館展』。

美術展はたまに行くものの、初めてヘッドホンで解説などを聴ける音声ガイドを借りた。声の案内人は俳優の水谷豊さん。水谷さんの知性とユーモアを兼ね備えた独特の語り口は、絵画の世界へと気構えることなく誘ってくれた。ロシアのプーシキン美術館についてのコラムを声優の上坂すみれさんが可愛らしい声で語っていて、それも好感がもてた。合間に聴けるクラシック音楽が用意されているのも良い。ガイドを聴きながらの鑑賞をしてみると、いつもはなんとなくで鑑賞していたような気がしてくる。まるでわからない言葉や読めない漢字があるまま小説を読んでいたような感じかもしれない。絵を観ながら解説を聴くことで、自分にはなかった視点や角度から絵画をじっくり楽しめる。そしてなにより美術館という空間に没頭できた。音声ガイドってこんなに良いものだったのか、はたまた今回のが素晴らしかったのか。とにかく次美術展に行ったらまた音声ガイドを借りたいと思わされる新しい体験だった。

ちなみにガイドの最後にドラマ『相棒』のファンなら少しニヤリとするセリフを水谷さんが言っていたと思う。ほとんど相棒を見たことないので今ひとつピンと来ず申し訳なかったけれど。

 

昼食を終え、不忍池のボートに乗ってみることにした。手漕ぎがよかったが焦げそうに暑い日だったので、車が半分沈んだみたいな風体の足漕ぎ型ボートにした。風が強かったのでなかなか操作が難しくかえって楽しめた。

 

旧岩崎邸庭園にも8年ぶりに訪れた。残念ながら一部補修工事中だったが、あいかわらずの大金持ちの贅沢で品のある家だった。住みたいかと言われると違うけれど、夏休みに3日間くらい滞在できたら最高だと思う。ベランダから校庭ほど広い芝生の庭を見下ろしながら、東京はずいぶんみんなでギュウギュウになって暮らしているなぁ、なんて他人事みたいに思った。帰り際に8年前と同じ場所で写真を撮った。20代と30代の私を見比べると哀しいほどに時の流れを感じた。また8年後にも40代の私を収めに来よう。

 

上野近辺の最後は湯島天神にお参り。家族の健康と平和な日々を願い、暑くて充実した1日を無事終えた。

 

おでかけ、楽しかったな。